すみません。農作業の話でないのですけど、番外編で文学の話を。(平成25年10月2日加筆しました。更に平成25年12月18日加筆しました。平成26年3月14日再加筆。平成26年4月9日再加筆。)
ここ三ヶ月ほど更級日記にはまってしまって、かなり読んでゐる。 しみじみと感動する。 若い頃から何回も読んで、もう4回目くらいだけど、今回一番感動した。 夢見る文学少女の敗残日記。その夢破れた晩年の空虚感、挫折感に共感するなあ。 (元文学少年の私も年を取ったのだ。) 後半の挫折感も共感するけど、前半の文学への熱狂振りも笑へてすごい。 冒頭の源氏物語を読みたいと思つて、仏像に祈るシーンなんかすごい。 「身をすてて、額をつき、祈り申す」とある。身をすててってどういう格好で祈ったの?と突っ込みたくなる。 あと源氏物語を始めて手に入れる場面で、そのうれしさを「はしる、はしる」と表現したのにも笑つた。彼女のうれしくてたまらない、一瞬も待てない、高揚感がせまつてくる。 それから物語を読んで楽しくてたまらず、「后の位も何かはせむ」。 「物語を読む楽しさにくらべれば、結婚して妃になることだって、何だつていふの?」 さらに、「今はわたしは見た目もよくないけど、もう少ししたら、見た目もよくなって髪も伸びて、薫の大将の浮船みたいになつて、きっと素敵な人が迎へにくるに違ひない。」 笑へる。 しかし、かういふ文を読むとこの女性をいとおしいと感じてしまふ。 しかし、日記を書いている年取った筆者は、さうした若い自分を、「はかなく、あさまし」と批判する。 みごとな、ぼけと突込みだ。 空想的世界を突つ「走る」ヒロインとそれを批判する現実的自分。いい感じだ。 最近、インターネットで調べると、更級日記を、「平安のオタク物語」、「文化系オタクの始祖」などと書かれてゐる。それを見ると、笑つてしまふ。一面そのとおりなのだ。 でも、更級日記はそれにとどまらない。 極めて、実存的、宗教的な作品なのだ。 孝標女は、一貫して少女期から宗教への関心を持ち続ける。「源氏物語を読ませてください」と薬師如来に祈ることも、文学と宗教といふ彼女の両方のテーマが現れてゐるのだ。 キルケゴールは、人間は、美的実存、倫理的実存、宗教的実存の経過を経て人生を生きると考へた。 まさしく、孝標女は、キルケゴールのいふやうに生きたやうに見える。 美的実存=源氏物語に憧れたオタク的時代。 倫理的実存=宮中に働きに行って結婚もして夫や子供のために社会人として生きた時代。 宗教的実存=夢破れて絶望の中で宗教にのみ救ひを求める時代。 更級日記は、聖女でも、賢者でもない、一人の女性の求道の記録であり、煩悩、俗欲に満ちた女性が人生の出来事を通じて現世を越ゑた救ひを求めるにいたる宗教文学なのである。彼女の晩年の絶望は、孝標女が現世を越ゑた真の信仰の門口に立つてゐることを示してゐる。 更級日記は、彼女の若き日の夢と晩年の絶望ゆゑに、誠実な魂の求道の記録として日本人がゐる限り残り続けるだらう。 清水寺の鏡のもう一つの嬉しい夢は、さういふ形でかなえられたと私は思ふ。 彼女は、現実の女性としては控えめで優しい女性だと思ふ。 姉の死をすごく悲しく思い、死んだ姉の子供を結婚もせず育てる。そして、親が彼女にすがりつくやうに彼女を頼ると彼女は結婚もせず、それに答えてしまふ。そのために婚期を逃し、晩年の悲惨に繋がると思ふ。彼女が20代の時に結婚してゐれば、もつといい結婚相手を見つけられたと思ふし、子供ももつと早く成長しただらう。 彼女は、その優しさゆゑに幸せを取り逃がしてしまつた。 しかし、彼女の親も、姉が出産で死んだことを見て、孝標女の結婚になかなか踏み切れなかつたのではないか。この娘が姉のやうに死んだらどうしようといふ親心。少しでも親子睦まじい時間を長く持つてゐたいと思ふ親。まるで小津安二郎の映画だ。それで婚期を遅らせてしまつた娘。そのため晩年に夫が死に不幸に陥つてしまつた。 (上の画像は土佐光起筆の紫式部。平安時代のお姫さまが読書するとこんな感じか。でも「更級日記」の本文には「打臥して」読みふけったと書いてあるから以下の画像みたいか。以下は「市原市埋蔵文化センター、孝標女生誕1000年記念特集」からインターネットでお借りしました。楽しい画像をありがとうございます。著作権の問題があれば、コメントなどで指摘していただければ削除ゐたします。) 更級日記の後書きを藤原定家が書いてゐて、そこには、孝標女は、「夜の寝覚」と「浜松中納言物語」を書いたらしいと書いてある。 「夜の寝覚」を図書館で借りて読み進めてゐる。 結構、おもしろい。 この話は、ある中納言が婚約者がいるのに、素敵な女性を見つけて、関係を持ち、ぞつこんになつてしまふ。中納言は、関係を持った女性でなくて、もともとの婚約者と結婚した。しかし、その関係をもつた女性を求める。両者とも初めに相手を別人と誤解していたが、実は、中納言の関係をもった女性は、結婚相手の妹だつたといふところからスタートする話だ。 冒頭などは、なかなか、はらはらさせられて読ませる。 孝標女、才能あるねと思つた。 孝標女には姉がゐて、姉には結婚相手がゐた。しかし姉は出産で死んでしまつた。 研究者によれば、「夜の寝覚」の親族関係は、孝標女の親族関係とそっくりなのださうだ。 姉の夫と関係をもった主人公は、孝標女自身。 別の研究者によれば、孝標女と姉の夫に関係があった可能性を推測してゐる。 若い、感覚の敏感な孝標女が、源氏物語に熱中し、はまり込み、姉の夫との熱愛を妄想しながら、あるいは、関係に悩みながら、小説を書く。そのことを考へると、また、興味深い。 孝標女が熱愛した源氏物語の宇治十帖は、姉と結婚したがった薫の大将と妹たちとの恋愛物語だ。そのことも孝標女の頭にあったのだらう。 しかも、「夜の寝覚」のヒロイン(夜の寝覚という名前)は、すごくかわいく、美しく、男に熱愛され、子供を育てる主婦としてもすばらしく、優しいけど、芯の強い女性、いわば理想的女性として描かれていくらしい。 う~ん。源氏物語にはまり込んだ、異性関係が少ないオタク少女が、自分を理想化してヒロインを作つて小説を書く。 妄想女子の自己美化小説。そう考へると二重に楽しめる。 自己美化の箇所はすごすぎる。例えば、帝が近くで夜の寝覚をみて、その美しさに、驚愕する場面。 「いかにも華奢で愛らしげに見えて、明るい火影の下に類もなく美しく、夜見るという美玉の輝きもかくやとばかり、帝はお心に感嘆の声を放って、吸いつけられるように見とれておられる。まことに若々しく魅力に溢れ、聞く人まで思わず微笑に誘われて、あたり一面ぱっと美しさが満ち溢れるような印象である。その美しさ、その愛らしさなどは、どう表現しようにもとても言葉に尽くせるものではない。」(小学館・「日本古典文学全集・夜の寝覚」) その後、帝も、夜の寝覚に、ぞつこんになってしまい。「帝の位を捨ててもお前と一緒にいたい」と口説くのだ。 帝の位を捨ててもお前と、なんて、孝標女さん、自己美化、すごすぎ! でも、もし、「夜の寝覚」を孝標女が書いたとしたら、孝標女が日本文学史上はじめて自分を理想化して文学作品を書いたのではないか。 源氏物語は当然、作者と主人公が違ふし、伊勢物語も多分、在原業平が書いたわけではないだらうし、他に考へ付かない。 若き日の彼女は、オタクの開祖だけでなく、ナルシスト文学の開祖でもあるのだ。 三島由紀夫が、小説とは理想の自分を描くものだと書いたと記憶する。すごい美人で男に熱愛され主婦としても完璧な理想的な自分を描き、後年、それを否定した孝標女。愛国の英雄という理想的自分を描き、愛国の英雄になり切つて死んだ三島さん。 自分を理想化して描くといふ孝標女の考へ出したナルシスト文学の手法を三島さんも使つたのだ。 三島さんは、「豊饒の海」の参考に「浜松中納言物語」を使ったらしいから、若き日の孝標女には、更に世話になつてゐるわけだ。 しかし、後年の彼女は、若き日に物語を書いた自分を、「はかなく、あさまし」と批判する。 そういえば、トルストイも、晩年、宗教的になって、「アンナカレーニナ」みたいなすごい小説を「はかなく、あさまし」と批判したな。 正宗白鳥は、「文学は絵空事だ。」と言った。白鳥がそう批判した裏には、宗教の信仰と現実の厳しさに比べればという含みがあるはずだ。 しかし、孝標女は、ナルシスト文学の開祖なだけでない。 自虐の文学、言いかへると、道化の文学の開祖でもあると私は思ふ。 更級日記の中で、自分の結婚を嘆く場面がある。 地味な、さえない中年男との平凡な結婚。 ロマンチックな恋を求めた彼女からすれば、完全な絶望だ。前半生の努力が否定され、夢が破れたのだ。前半生の人生は何だったの?と孝標女は思ふ。 その時、一人で歌を詠む場面。 「幾千たび水の田芹を摘みしかは思ひしことのつゆもかなはぬ とばかりひとりごたれてやみぬ」 この歌は、貧しい男が貴婦人に芹(せり・湿った土地に生える食べられる草)をささげつづけたけど、振られたといふ話をもとにしているらしい。 この歌の解釈には難しさがあるみたいだけど、私は、何千回も水の田の芹を摘んだことか、だけど、思つたことは露もかなはなかつた、と解釈する。 歌の前半を読むと、水びたしになって芹を摘む努力をする孝標女の姿が思ひ浮かぶ。 これは、物語や空想の中で素敵な恋を夢見てきた彼女の姿を描いてゐる。水浸しで芹を摘むように、恋のロマンを求めてきたと孝標女はいひたいのだ。 しかし、後半は、現実を描く。そこにはつゆもロマンがない。「つゆも」は「少しも」の意味だ。しかし、前半の水浸しにかけて、露の意味にとれる。現実には、露、すなわち、一滴の水もないといふのだ。前半の水浸しの孝標女と後半の一滴の水もない現実が対比になつてゐる。 水浸しで必死に恋のロマンを求めた彼女、しかし、一滴の水もない現実。 これは滑稽な有様ではないか? 自分の努力の空しさと自分の姿の惨めさを表現して滑稽味を帯びてゐると私は感じる。 しかも、次に「そう独り言をたれたのよ。」と孝標女は書き加える。 独り言をたれる? 古語辞典を調べても、「たれる」に「言う」の意味はない。しかし、彼女は現代人が、不平や不満をたれるように、独り言をたれたのだ。 なんで孝標女は、そんな「たれて」なんて普通じゃない表現をしたのか。それは、たぶん前の歌の水と関係があると思ふ。水浸しの努力をした孝標女から、独り言の水が垂れたと言ひたいのだ。だからあえて普通でない「ひとりごたれる」という表現をしたのだ。 あえて「ひとりごたれる」といふ普通でない表現をしてまで、歌と関連づけたいのは、なぜなのか? それは、水浸しの惨めな自分を強調するためだらうと思はれる。あえて「たれる」といふ破格の表現をして、水浸しの自分を強調し、その水浸しの滑稽さを強調するためだと私は思ふ。それは、つまり、自分を滑稽に見せて、笑ふを誘ほうといふ気持ちと私は思ふ。 自分を滑稽に見せて笑はせる、これは道化の文学ではないか。孝標女は、前半生の総決算の場面で、破格の表現を用ひて、自分の滑稽さを際立たせた。そして読者に笑ひを提供した。 そう考へると、冒頭の仏に身を捨てて額づいて祈った場面も、実は、道化の文学の表現なのではないか。私は、その場面を読んで笑った。でも、孝標女は笑はせようとしたんじゃないか。 「わたしってこんなに愚かな娘でしたの。笑っちゃうでしょ?」と読者に語りかけてゐるのではないか。 乙女チックな文学少女は、自らを滑稽にしたてて、読者の笑ひを取ろうとする文学者に成長したのだ。 いや、さうではない。そんな、軽いものにとつてはいけない。そこには、前人未到の文学を表現しようとした、空前絶後の努力と挑戦があると思はれる。何の後ろ盾なく、そこまで彼女は、自己に固執したのだ。なんといふ自意識だらう。 江戸時代以前の一体誰が「はかなく、あさまし」い愚かな人間のトータルな人生を言葉にしようとしただらう。誰一人ゐはしない。真理のため、自己を超へる何かのため、表現をした人はゐる。(「徒然草」とか「方丈記」とか)。あるいは、社会に多くの影響を及ぼした人間の伝記、自伝はある。(「信長公記}とか新井白石の自伝、「折りたく柴の記」とか。)社会に影響を及ぼしたのだから記録する理由がある。 しかし、自己の愚かしい「はかなく、あさまし」い人生を表現した人は,彼女の他にはゐない。彼女だけがさうしたのだ。彼女一人だけが自分の愚かな人生の自己表現に意味を見出したのだ。孝標女は江戸以前のすべての文学者に対して、「はかなく、あさまし」い自分の人生の表現だけを持って、たった一人で屹立してゐる。なんといふ実存的な女性なのだらう。 もちろん孝標女の「更級日記」には、道綱の母という偉大な先輩の先駆作品「蜻蛉日記」がある。 またいくつかの平安王朝女性日記がある。 道綱の母の「蜻蛉日記」には、偉い人の妻についての表現という側面がある。さうした万人の認める表現理由がある。偉い人は万人に影響を与えるから、自らについて表現する理由がある。蜻蛉日記は、偉い人の自己表現(例へば、「折りたく柴の記」のやうな)に通づる面がある。道綱の母自身もさう言つてゐる。 だが、孝標女は偉い人の妻でなく、何の後ろ盾もないのだ。 他の平安時代の女流日記は、記録するに値するやうな人生の大切な一部のみ書いてゐる。 しかし、孝標女は、さうではない。 偉い人と直接関係がない「はかなく、あさまし」い自分の人生を幼年期から晩年までトータルに表現してゐる。 更級日記は、社会を動かすやうな偉い人と関係がない、劇的な場面もほとんどない、ただ、ただ、「はかなく、あさまし」い一人の女性の全体的な人生を示してゐるのだ。 孝標女だけが自分の「はかなく、あさまし」い人生をトータルに表現する価値があると思つたのだ。西洋の影響なくして、そこまで自分に固執したのだ。何と言ふ恐るべき女性だらう。 孝標女は、三島的ナルシスト文学の祖であるだけでなく、太宰系の道化の文学の祖でもある。それは江戸時代以前の他の文学者に追随を見ないほど、自己に固執した孝標女の執念の産物と思はれる。 それは孝標女の自己に徹底してこだわって表現を行ったことから生まれたことだと思ふ。 孝標女は、オタクの祖だけでなけく、太宰や三島といふ現代文学者の偉大な祖なのだ。彼女は、平安といふ中世の女性であるけれど、たった一人屹立する女性として、個人主義的な近代文学の祖なのだ。 (こんなに褒めるともしかして、孝標女は恥ずかしがるかもしれないな。そこまでではありませんとか言って。) (あと、水は東山の記述を読んで思ふんだけど、孝標女にとって恋への憧れの象徴だと思ふ。この歌を詠んだとき彼女は東山の霊山を思ひだしてゐたと思へてならない) 最後に、私は、更級日記は、最後には文学を捨てて、宗教に救ひを求めた女性の話だと書いた。そう思つてゐた。 でも違ふといふことが最近分かつた。彼女が宗教に救ひを求めたことは、間違ひない。 しかし、文学を捨てたと思つたことは違つてゐた。 彼女は文学を全然捨ててゐない。さうではなくて逆に最後まで文学に固執してゐる。 恐ろしい自意識だ。孝標女は、最後まで自分に固執したと思ふ。 最後まで文学に固執した証拠は、簡単で、誰でも分かることです。私はそれに気が付かなかったのです。 その件については書きません。 もし、意見のある方はコメントしていただければ幸ひです。 「更級日記は、聖女でも、賢者でもない、一人の女性の求道の記録であり、煩悩、俗欲に満ちた女性が人生の出来事を通じて現世を越ゑた救ひを求めるにいたる宗教文学なのである。」と私は冒頭に書いた。この件はどうなった?と考へる人がゐるかもしれないと思ひ、最後に書き加へます。 孝標女は、文学を最後まで捨てず、自己に執着を続けた。それで、本当に宗教に救ひを求めたと言へるだろうか? その点については、推測するしかない。 彼女が現実に絶望し宗教に救ひを求めたことは、最後の阿弥陀佛の来迎の場面で明らかだらう。それでなぜ彼女は自己に固執し、文学に固執したのか? おそらく、孝標女は、阿弥陀の救ひを信じた。その時に、彼女は、自分の人生を振り返って、愚かな「はかなく、あさまし」い人生だったと自分の人生について思っただらう。 我執と俗欲に満ちた黒歴史。 しかし、阿弥陀に救はれたと感じた彼女は、阿弥陀の超越的な慈悲から見て、自らの「はかなく、あさまし」い人生が、一回限りのかけがえのないものに見えたのではないだらうか。 「私の人生は、愚かだった。はかないものを追い求めただけだった。あさましいものだった。でも私の人生はそれしかなかった。それしかありえなかった。それは、かけがえのないものだった」 阿弥陀の超越的な慈悲を感じて、彼女はさう思ったのではないだらうか。 自分の人生といふ一つのものが、我執といふ面から見れば黒い歴史、しかし、慈悲から見れば恵まれたかけがえのない歴史、そんな風に二重に見えたのではないだらうか? 初瀬の夢の中で、一つの鏡の中にある「悲し」い姿と「嬉し」い姿の両面を見たといふお告げは、さういふことではないだらうか? だから、更級日記は、 孝標女の人生の到達点として、文学と宗教の一致する場所にあると思ふ。 一人屹立する孝標女は、阿弥陀の慈悲によって支へられてゐる。彼女のナルシズムも自虐も阿弥陀の慈悲に受け止められている。 長年、文学か宗教かといふことで迷った孝標女は、人生の最終局面で、文学と宗教が一致する場所として更級日記を書いたのだと、私は思ふ。 だから、更級日記は、少女期のときめきも、青春の甘酸さも、中年の苦渋を含めて、かけがえのない、たった一回きりの人生の記録として我々の感動を誘うのではないだらうか。 とにかく、ここのところ、更級日記にはまつて、読んでゐます。
by isehyakusyou
| 2013-09-17 22:52
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