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自民党改憲案批判5・多様性を認める日本であってほしい

 選挙が始まった。今回の選挙は、大きな意味を持つ。
 野党が批判するように、改憲が問われているからだ。
 
 安倍首相は、街頭演説で改憲について口にしないと共産党の人がいっていた。
 しかし、東京新聞によれば、インターネットの党首討論で「次の国会から改憲議論を進めたい」と発言した。大っぴらに言わないが、参議院の三分の二の議席をとって改憲したいのだ。

 あまり安倍首相が改憲を口にしないのは、 「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。」という麻生副総理の発言を思い出させる。

 私は、自民党改憲草案が日本の憲法になってほしくない。

 なぜなら、あの憲法草案は多様性を認めないからだ。

 前文で伝統や国家について論じるが、そうした国家観や伝統観は、日本人全員が共有しているわけではない。

 私は、国家神道を否定しないし、その歴史的意味も否定しない。国家神道で命をかけた人々には敬意も持つ。また、自国を守るための戦いも場合により状況によりあり得ると思っている。

 しかし、日本人はすべて国家神道に心酔しているわけではない。

 日本人は一民族一国家といわれることがある。

 それは間違いだ。

 アイヌの人や沖縄の人がいる。在日韓国、在日朝鮮の人もいる。
 他民族、いろいろな文化や宗教や伝統が混在しているのが日本だ。

 宗教だって、神道、仏教の他に、キリスト教の人もいる。その他、神道系、仏教系のいろいろな宗教がある。イスラムの人もいるかもしれない。
 神道だって、天皇を頂点したものだけではない。山岳神道、修験道、などは天皇系の神道とはもともと別の流れだ。
 仏教だって多宗派ある。
 日蓮の流れみたいに排他的な宗派もある。
 北陸の人々は浄土真宗を熱心に信仰している。

 こうした多種多様な人々を、まとめるのも、憲法の役割の一つだ。

 政教分離とはそういう意味だ。
 
 宗教や伝統や血筋が違っても、日本人として受け入れるための政治的器として憲法はあるべきなのだ。

 多様性を認めない憲法は、憲法ではない。それは宗教文書や思想文書だ。
 憲法は宗教文書・思想文書であってはならない。

 それから、多様性を認めるから、言論の自由は認められる。つまり、ある教団が、他宗教への痛烈な批判をすることは、許される。言論の上ならば。
 天皇制の日本であっても、天皇批判の思想の存在は許される。言論の上ならば。
 これを暴力に訴えてはならない。
 しかし、言論・思想は許されるのだ。「あなたの意見には同意しない。しかし、あなたの言論を表現する自由は必ず守る」。こうした考えが近代人の在り方であり、それを認めていくのが憲法だ。

 それを認めようとしない自民党改憲草案に私は断固反対する。
by isehyakusyou | 2016-06-23 10:18
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